【塾生通信】第九回:改めて、志
こんにちは。
ショウカソンジュク通信、塾生代表エンドウです。
さて、「改めて、志」と題しまして第九回目の塾生通信です。
先日の塾生通信第八回で取り上げた内定先課題図書、
『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』に続きまして、
読了いたしました、
こちらも皆さんご存知であろう、
Facebookにまつわるノンフィクションとなっております。
読んだ感想を述べるのであれば、
なんとまあビジョナリー、、!!
Amazonのベゾス氏に続き、
マークザッカーバーグ氏、なんとまあビジョナリー
内容に関しては、
興味ある方は本を買って読めばいいし、
ちょっと知りたいくらいだったら
恐らく少し調べるだけでうまくまとまったものが出てくるだろうし、
ということで言及しませぬが、
改めて、志、やVisionってやっぱりあった方がかっこよくね?っていう、
上記の2冊を読んでそんなことを思いました。
それ故に人生が濃いものになっていますよね。
わかりますよ、かっこよさとか、濃さとか、どうでもよくね?っていう意見も。
それに対して論理的に
「いや、ナンタラカンタラがどうこうで〇△*~」
とかなんとかって、
気取ったカタカナを並べて論破しようなんてつもりはないし、不可能だろうし。
けれどまあ、
自分が生涯かけて実現を目指すべきだと思えるVisionを持ち、
社員が一瞬にして億万長者になれるような買収の話を持ち掛けられても、
Vision実現のためにNoを突きつけてしまうザッカーバーグのように、
濃度高めの熱狂度で生きれたらいいなあなんて思うわけです。
とは言ってもそれぞれ掲げるVisionの空間的規模感も違えば、
時間的な規模感も違うわけで、
その実現のために熱狂を保ち続けるのは難しいかもしれません。
けどまあ、あくまで等身大で、いや、少し背伸びしたくらいで、
やれればいいかなあ、ってのがわたくし個人のスタンスってやつです。
まあ、志やVisionの大小なんて比べるものでもありませんしね。
なんなら大小というのが間違いですかね。
それはさておき、
『フェイスブック 若き天才の野望』
を読んで思うことがもう一つ。
それは、
空間的、時間的規模感の大きい志やVisionを持つ人ほど、
実現のために人を組織しなければならなくなる、ということ。
そして、人を組織するとき、
その規模が大きくなればなるほど、
組織した目的である志、Visionの共有が難しくなること。
まあそりゃそうだろって感じですけど、
もう少しこのことについては考えていきたいな、と思っています。
『サピエンス全史』の内容にも少し触れ、
もう少しウィットに富んだまとめにするはずが、
やや迷走いたしましたので、いったんここらで締めさせていただきます。
北海道、春が滞在中です。
エンドウでした。